裁判例紹介

いじめ裁判例からわかる⼤⼈の責任

⼦どもがいじめによって⼼や体に深い傷を負うことのないように、⼤⼈はそれぞれに課せられた責任を果たさなければなりません。
法律は⼤⼈に対し、どのような責任を果たすことを求めているのでしょうか。
いじめに関する⺠事裁判の判決⽂を⾒ることで、⼤⼈に課せられた責任を考えていきましょう。

「いじめ」と「じゃれあい」の違いは?

法律に違反する「いじめ」があった場合に初めて、⼤⼈の責任が議論されます。まずは、⼦どものどのような⾏為が「法律に違反する」と判断されるのか、具体例をご紹介します。
もちろん、判決で「法律には違反しない」とされた場合でも、その理由は様々です。「法律に違反しない」からと⾔って「やってもいい」とお墨付きが与えられるわけではありません。
また、判決⽂だけからはっきりとした基準を⾒出すことはなかなか難しいかもしれません。
でも、法律はどのような⾏為をしてはいけない⾏為と考えているのか、そのイメージをつかんでもらうことはできそうです。

「吹奏楽部いじめ」事件

この事件は吹奏楽部の同級⽣の⾏為をいじめと認めた事件です。
⾼校1年⽣の吹奏楽部の同僚部員たちが、ある⼀⼈の⾼校1年⽣の⼥の⼦(仮に「松⼦」さんとしましょう)に、繰り返し暴⾔やからかいの⾔葉を投げつけたというケースです。
具体的に投げつけられた⾔葉は、以下のようなものです。

1. 「アトピーが汚い」
2. 「顔が醜い」
3. 「部活に邪魔」
4. (病気の休み明けに)「もう仮病は直ったの。」


殴る・蹴るといったいわゆる暴⼒はありません。⾔葉の暴⼒に限られます。
裁判所は次のように⾔っています。

「アトピーが汚い。」、「顔が醜い。」など松⼦の⾝体的特徴を取上げていわれない中傷を加えるものや、「部活に邪魔」など部活動内における松⼦の存在価値を否定するもの、さらに病気養療中の松⼦に対して「もう仮病は直ったの。」と⾔うなど当時の松⼦の⼼情を顧みずにされたものがあり、上記発⾔内容はそれ⾃体松⼦に⼤きな精神的苦痛を与えるものということができる。

つまり、吹奏楽部の部員たちがしたことは、⾔葉の暴⼒だけであっても、松⼦さんの「⼼を深く傷つける」ものだから、法律に違反するということです。
1つ1つの⾔葉だけを切り取れば、冗談に聞こえる場合もあるかもしれません。しかし、⾔葉の暴⼒(環境系のいじめ)の場合には、状況や継続性、⾔葉の響きなども重要な要素となります。法律に違反するかどうかは、⼀連の⾏為を実質的に⾒て判断する必要があるのです。

もう1つ別の事件をご紹介します。

「恥ずかしいあだ名」事件

この事件では、中学⽣のある⽣徒が1⼈の同級⽣から5か⽉弱にわたり次のような⾏為を受けていました。

1. 恥ずかしいあだな(「⾦もっこり」)を付けられる
2. おかずを取り上げられる
3. ⽔筒から勝⼿にお茶を飲まれる
4. 「肩ぱん」(肩に「パンチ」すること)をされる
5. 暴⾔を吐かれる
6. 「お⼟産を買ってこないとぶち殺す」と⾔われる
7. 肩、股間、太腿内側を殴り蹴られる
8. 合唱の練習のときに笑われる


被害を受けていた⽣徒は、これらの⾏為を苦にして転校することになりました。裁判ではこれらの⾏為がいじめだと判断されました。
やはり⼼の傷が深いことを認めた判決でした。
この事件も1つ1つの⾏為を切り取って個別に⾒るのではなく、⼦どもがそのような環境に⽇々⾝を置いて⽣活しなければならないことに思いを⾄らせ、「⼼に深い傷を与えるかどうか」を基準として真摯に判断しなければなりません。

さらにもう1つ、より深刻な被害をもたらした事件を⾒てみましょう。

「解離性同⼀性障害⾃殺」事件

この事件では、次のような⾏為がいじめと認められています。被害者は中学1年⽣の⼥の⼦です。

1. 仲間外れ・無視
2. 毎⽇のように「うざい」「きもい」「死ね」「天然パーマ」「眉⽑が太過ぎ」「油ういとるけど」「⽑が濃い」「⽑が濃いのに出さんといて」「ニキビ」「汗臭い」「反吐が出る」などと繰り返し述べる
3. 鞄をける
4. 教科書やノートに「うざい」「きもい」「死ね」などと書く
5. 掃除の際、わざと机の周りにごみを集める
6. ロッカーに貼っていたアイドルのポスターを破る
7. 教科書を隠す
8. 机を外に出す
9. 靴に画びょうを⼊れる
10. 終了式の朝、被害者が登校したところを「くさいから空気の⼊れ替えをする」と述べる


いじめを受けていた⽣徒は、どうしても耐えられなくて、転校することにしました。
けれども深い⼼の傷が残っていました。
被害者は、「解離性⼈格障害」という⼼の病気になってしまいました。
いじめられ、⼈間としての誇りを徹底的に傷つけられたため、⾃分を守るために別の⼈格を作り上げたのです。被害者はいじめを受けてから3年後に次のような作⽂を書いています。

題名は「⾃分との戦い」です。

「今、私は、⾃分⾃⾝と戦っています。その理由は今から三年前、中学⼀年⽣の時に受けた『いじめ』にあります。『いじめ』ほど残酷なものはありません。いじめを受けた⼈は、深い⼼の傷を負い、いじめを思い出しては、何年も苦しむのです。」
「いじめを受けた最初の頃のことです。いきなりクラスの仲間からシカトされ、机を教室の外に出されたのです。あげくのはてには⼤声で悪⼝。何故、昨⽇まで仲良くしていた友達がそんな事をするのか…。裏切られた気持ちと⾃分の⾝に何が起こっているのかが分からない気持ちでいっぱいになりました。そして、いじめはどんどんエスカレートしていきました。『⾃分なんていない⽅が良いんじゃないか。』『死んだら楽になるのかな。死にたい…。』こんな事ばかり考え、頭がパンクしそうになりました。私は今⽇まで⽣きることが出来たけど、いじめを受けた⼈の中には本当に死んでしまう⼈もいるほどです。いじめがひどくなると、ついには、何も考えられなくなり、⼼が『⿇痺』してしまうからです。全てがどうでもよくなり、⾃分⾃⾝が分からなくなってしまう。私⾃⾝も広い宇宙にたった⼀⼈⾃分だけがとり残され、まっ暗やみの中をどこへ⾏けばいいのか⾏く先もないまま、ひたすらさまよう、そういう気持ちになりました。」
「私には⽬の前で繰り広げられているいじめの現実が到底理解できないまま、どうしようもない絶望感で⼀杯でした。こんなに悲惨な状況なのに担任は知らんぷり。そんな毎⽇に耐えられなくなった私はついにその学校を退学したのです。この甲川には中学⼆年の三学期に転校してきました。最初の頃は、やはり学校が怖くて学校に毎⽇通うことができませんでした。私は今もなお学校が怖い、⼈が怖いという気持ちと戦っています。」

もう1度先ほど列挙したいじめの内容を⾒てください。
いかがですか。物理的な暴⼒はほとんどありません。
⼤⼈の視点から1つ1つを切り取って取り上げるとそれほど深刻ないじめではないように⾒えるかもしれません。
けれども、⽇々継続的に、クラス中からいじめを受けつづけた⽣徒は、深い⼼の傷を負い、⼼の傷と戦い続け、けれども悲しいことに、転校してから3年後に⾃殺をしてしまいました。
いじめが1⼈の⼼を、取り返しのつかないほど深く、傷つけることがわかります。
裁判所は、これらの⾏為は⼼を深く傷つけるものであり、結果として、⾃殺を引き起こしたと認めています。

いかがだったでしょうか。これらの判決が⾔っていることは、それぞれの事件ごとに重視した事情は異なります。でも、当たり前の結論かもしれませんが、相⼿の⼼を深く傷つけると「法律に違反する」と⾔っていることは分かります。
物理的な暴⼒で体を傷つけることはもちろんですが、⾔葉によって相⼿の深く⼼を傷つけるようなことを⾔えば、「じゃれあい」では済まされず、法律に違反する⾏為となるのです。

1つ1つの⾏為を切り取って軽めに⾒積もることは危険です。⼦どもはじゃれ合って、ぶつかり合って⽣きていくものと決めつけてはいじめを⾒過ごしてしまうかもしれません。⼤⼈に⾒える⾏為は氷⼭の⼀⾓かもしれません。その陰には、少しずつ、けれども絶え間なく、⼦どもの⼼を傷つける「いじめ」が⾏われているかもしれません。全体像を把握する前に単なる「じゃれあい」と決めつけることなく、本⼈がどれほど深く傷つけられていうるかを真摯に検討しなければなりません。
さもなければ取り返しのつかないことが⽣じてしまうかもしれないのです。

「いじめ」の「被害額」

先ほどの判決でも示したように、いじめによって生じる心の傷は深刻なものです。取り返しのつかないことも起きえます。お金ですべてを解決できるものではありません。
けれども、裁判で命令できることには限界があります。
裁判官といえども、お金以外の解決の手段を命じることはとても難しいのです。
ここでは、参考として「いじめ」の「被害額」をご紹介します。

具体例として、先ほどご紹介した判決のうち2つの事件を見ていきましょう。
まずは、吹奏楽部いじめ事件です。

「吹奏楽部いじめ」事件

この事件で裁判所が慰謝料を支払うようにと認めた「いじめ」行為は、先ほどご紹介したとおり、「アトピーが汚い」とか「顔が醜い」と言ったり、「部活に邪魔」など相手がいてもいなくてもよいかのようなことを言ったり、いじめがつらくて病気で休んだときに「仮病は治ったの」などと言った行為についてです。

これらの言葉の暴力によって被害者の生徒が傷ついた心を慰藉する(慰める)費用として、裁判所が認めた額は56万円です。 これらの言葉を投げつけて、被害者の生徒に深い心の傷を負わせたことに対する慰謝料だけで56万円ということです。

なお、この事件においていじめを受けていた生徒は自殺をしてしまいましたが、裁判所は生徒の自殺はいじめを直接の原因とするものではないと判断しました。
いじめと自殺の関係は非常に複雑な問題を孕みます。当該その「いじめ」によって自殺をしたことを被害者側が立証しなければならないためです。これを「因果関係」といいます。いじめと自殺の因果関係の立証は本人が亡くなっているためとても大変な作業となります。いじめと自殺の因果関係の詳細については、また別の機会に紹介したいと思います。

もう1つご紹介する裁判例は、「恥ずかしいあだ名」事件です。

恥ずかしいあだ名事件

裁判所は、「金もっこり」といった恥ずかしいあだ名をつけてバカにした行為などを総合して、慰謝料として55万円を支払うよう命じました。
先ほどの「吹奏楽部いじめ」事件と同じくらいの金額です。
裁判所は、言葉のいじめについてだいたい50万円くらいの慰謝料を認める傾向にあるのかもしれません。

ただし、言葉のいじめだけなら50万円ですまされるなどとは思わないでください。
言葉のいじめといっても色々ありますし、ほかに、命にかかわるものや、暴力を振るわれてけがをした事件については、それぞれの事情によって支払いを命じられる金額は大幅に異なります。
大きな額の支払いが命じられた判例については、また別の機会にご紹介したいと思います。
ここでは、法律に違反するほどの言葉のいじめによって生徒に深い心の傷を負わせれば、最低でも50万円ほどの慰謝料を支払うよう命じられるものとしてご理解ください。

学校の先⽣の責任は?校⻑や教育委員会の責任は?

いじめを受けた生徒は学校の先生に相談することがあります。また、学校の先生がいじめの現場を目撃することもあります。
学校の先生は、いじめの相談を受けた場合、どのような対応をするべきなのでしょうか。

「解離性同一性障害自殺」事件

ここでは「解離性同一性障害自殺」事件をご紹介します。事案の概要は先ほどのリンクをご覧ください。
判決では学校の責任を以下のように一般化しています。非常に重要な点なので、少し長くなりますがそのまま紹介します。

学校を運営する法人は、在学契約に基づく義務として、学校において、生徒を教育する責務を負い、生徒に対し、必要とされる学科について形式的に授業を実施するだけではなく、生徒が実質的に学科の教育を受けることのできる人的・物的環境を整え、学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係における生徒の生命、身体、精神等の安全を確保し、これらに危害が及ぶおそれがあるような場合には、危害の現実化を未然に防止し、生徒が安心して教育を受けることができるように、その事態に応じた適切な措置を講ずる一般的な義務がある。また、上記義務について、学校を運営する法人の理事長は、法人に代わって事業を監督する者として、校長や所属の教員を監督する義務を負い、学校の校長は、同様に所属の教員を監督する義務を負い、教員は、その担当する職務に応じて上記義務を具体的に履行する義務を負うものであり、被告らがそれぞれ上記のような義務を負っていることは、教育基本法、学校教育法等の趣旨からも明らかである。

学校は、まず生徒を教育します。必要な授業を行わなければなりません。でも、学校はそれだけをすればよいわけではありません。生徒の命や体や心の安全を守らなければなりません。当然のことです。そして、学校の理事長や校長や先生たちは、それぞれ安全を守るために一定の努力をしなければ、法律に違反するのです。

では、学校関係者は、どれくらいの「努力」をしなければならないのでしょうか。判決は、時代が進むに従い、より多くの「努力」が求められると言います。

平成一四年度当時、いじめに関する新聞やテレビの報道等によって、学校内におけるいたずらや悪ふざけと称して行われている児童や生徒同士のやり取りを原因として、中学生等が自死に至った事件が続発していることが既に周知されており、中学生等がいじめを契機として精神疾患や自死等に至るおそれがあることは、公知の事実であったというべきであり、いわゆる学校関係者である被告らがこのような事実を知らないはずはなく、仮に知らなかったとすれば、それ自体、学校関係者としての責任の自覚が欠落していたことを示すものといわざるを得ない。

平成24年現在と同じように、いじめ自殺がテレビや新聞で多く報じられていたのだから、いじめが心を傷つけ、命にかかわることを、先生たちは当然に知っていたはずだと言います。
そのうえで、次のように述べるのです。ここが本判決の最も重要な点です。

したがって、被告らとしては、生徒間でトラブルが発生し、あるいは生徒や生徒の保護者等からトラブルについての連絡を受けるなどした場合、その都度、当該トラブルに関係した者を呼び、事情を聞き、注意をするという指導に加え、状況に応じた適切な措置を講ずべき義務があったというべきである。
 具体的には、状況に応じ、〔1〕トラブルに関係した生徒及びその保護者等からの情報収集等を通じて、事実関係の把握を正確かつ迅速に行う〔2〕現場の教員の目の届かないところでいじめが行われるのを避けるために、トラブルの当事者以外の生徒からも事情を聞くなどしてその実態を的確に把握する〔3〕加害者側の生徒に対し、生徒間での行為でも、いたずらや悪ふざけに名を借りた悪質で見過ごし難いものであり、時として重大な結果が生じるおそれがあることを認識、理解させ、直ちにやめるように厳重な指導を継続する〔4〕いじめについてのアンケート調査を実施したり、道徳の時間やホームルームの時間にいじめの問題を取上げ、クラスでの討論、発表等を通じて、クラスの生徒全体にいじめに対する指導を行う〔5〕生徒間でのトラブルについて、学年会に報告し、学年会で指導方法について協議して、複数の教員と意見を交換したりするなど教員相互間の共通理解を図って共同で指導に当たったり、中学校担当副校長や校長に報告して指示を仰ぎ、組織的対応を取るなどの義務があったというべきである。

「トラブル」が起きているのを見たり、トラブルが起きていると聞いたりしたら、学校の先生は、見るたびに、聞くたびに、トラブルにかかわっているとされる生徒たちを呼び出し、話を聞いて、問題があれば注意しなければなりません。それに加えて、トラブルの内容に応じて、対策を採らなければならないとされたのです。
判決はさらに具体的に対策の方法を述べます。学校の先生は例えば以下のようなことをしなければならないとされました。

1. 「トラブル」に関して、いったい何が起きたのか、正しく、すばやく確認する。
2. 「トラブル」に関して、直接は関係していない周りの生徒からも話を聞く。
3. いじめをしていた生徒に対して、「いたずらだった」とか「わるふざけだった」とか言い訳を許さず、厳しく叱る。
4. いじめについてのアンケートをしたり、討論などをして、クラスでいじめの指導をする。
5. 先生同士で連絡を取ったり、校長に報告したりして、学校全体でいじめに対応する。


学校の先生がこれらの対応をしなかった場合、法律に違反すると判決は述べています。

この事件でいじめを受けた生徒は、靴に画びょうを入れられたときに、担任の先生に助けを求めに行きました。
しかし、担任の先生は、「画びょうは学校の備品だからもらっておく」と言っただけでした。画びょうを靴に入れるというのは、間違いなく「トラブル」です。そのような場合に、誰が、いつ、なぜ画びょうを入れたのかについて、何も調べていないのです。先生同士で連絡を取ったり、校長に報告したりもしていないのです。判決は、この対応は先生に求められる責任を果たしたことにはならない、法律に違反するとして、損害賠償を認めました。
先生は生徒が安全に学校生活を送れるよう、大変重い責任を負っているのです。

担任の先生らの個別の責任を越えて学校全体の責任について述べた裁判例もあります。先ほどご紹介した吹奏楽部いじめ事件では次のようなことを述べています。

「吹奏楽部いじめ」事件

(いじめに気付いた時点で)組織として、松子の問題を取上げ、松子の話を受容的に聞いたり助言する、あるいは、被告生徒らの言い分を聞いて助言する、あるいは、生徒全体を相手に注意を喚起する等松子の苦悩を軽減させるべき措置を講ずる必要があったことになる。

つまり、いじめに気付いたら、学校全体でいじめに取り組み、いじめを受けている生徒の話をしっかりと聞き取ったり、いじめをする生徒に生活面でのアドバイスをしたり、学校全体にいじめがあるので注意をしたりして、いじめを受けている生徒の心の苦しみを減らすようにしなければいけないとしています。そうしなければ、法律に違反するとしています。
いじめに気付きながら、放っておいてはいけないという当たり前のことを、裁判所はしっかりと言っているのです。

他方で、生徒が傷つけられるいじめがあったことを認めながら、学校の努力が認められ、教員には法律違反が認められないとした事件もあります。

「トイレ暴行」事件

この事件は、被害生徒がトイレでしばしば暴行を受けていたという事件です。判決文は、以下のように述べて、学校は法律上の責任をしっかりと果していたと評価しています。

小学校からの引き継ぎに関しても他の学年に比べ3倍もの時間を費やしてこれを行い、また、2学期には原告らの学年に対してはいじめ問題教育を集中的に行い、あるいは、生徒らの問題行動を防止するために、休み時間の巡回やトイレの立ち番等を行い、また、問題行動を頻発する被告A及び同Dらに対しては、その都度指導を行い、また、いじめ被害を受けているのではないかと危惧された原告に対しても、K教諭が原告に直接問いかけたり、あるいは他の教諭や生徒を介してその動静に注意を払う等していたもので、本件中学校教諭らは、平成12年3月18日、原告が教室内で被告A及び同Dから暴行を受けたことが発覚するまでの間、必ずしも原告に対するいじめを漫然と放置しあるいはこれを見過ごしていたわけではないことが認められる。

裁判所が評価した学校の対策としては以下のようなものが挙げられます。
1. 毎週、いじめ会議をやっていた
2. 毎月、いじめ協議会をやっていた
3. 入学する生徒それぞれについて、小学校から引き継ぎを受けていた
4. いじめの授業をたくさんやった
5. 休み時間に教室を回ったり、トイレを見張ったりした
6. 帰り道のコンビニで見張りをした
7. いじめをする生徒には、直接きびしく指導した
8. いじめられていると思われる生徒には、直接声をかけたりした
9. いじめがわかったらすぐに教育委員会に連絡した


このように、いじめを許さないことをいつも言っていて、実際にいじめが起きないよう見張りなどをしていて、いじめが起きていると思われるときには直接いじめをしている生徒やいじめられている生徒に声をかけていることを、裁判では評価されているのです。

ちなみに、裁判所は、話を聞き取ったり、指導をしたりする以上の対応については、法律上の義務としては求めていません。
例えば、「監視、懲戒、隔離」などです。「監視」とは、いじめている生徒に見張りを付けたりすることです。「懲戒」とは、いじめている生徒を出席させなくしたりすることです。「隔離」とはいじめている生徒やいじめられている生徒について、別の教室で授業を受けさせたりすることです。

判決では、「監視、懲戒、隔離といった手段を採らなかったこと」が法律違反だとされるためには、「そのような手段を採ることがやむを得ないと認められるような限定的な場合に限られる」としています。
まずは、話を聞きとったり、指導をしたりして、いじめに対処するべきであって、それでもいじめがおさまらないときに、監視をしたり、懲戒をしたり、隔離したりすればよいとしています。

いかがでしょうか。
自分の担任の先生は、この責任を果たしていると思いますか。

教育関係者の中には、先生の責任が重すぎると思われるかたもいるかもしれません。
確かにその通りかもしれません。いま、学校では、ひとりの先生で何十人もの生徒の面倒を見ています。勉強を教えるだけでも大変です。中高生は、たくさんの「トラブル」を起こします。担任の先生が、そのすべてについて事実を把握するのはとてもできないかもしれません。

しかし、法律は、「できない」ではすまされないと言っているのです。実際に、「トイレ暴行」事件のようにしっかりと責任を果たしている学校もあります。
生徒の命や、体や、心が傷つけられないように、生徒が安心して安全な教育を受けられるように、学校は考えられることを全て行わなければならないのです。そうしなければ、法律に違反すると、裁判所は言ってます。
しかし、そのすべての責任を現場の先生や校長先生に負わせることは無理があります。先生の人数を増やしたり、先生が生徒指導に集中できるよう学校にバックオフィス機能を充実させたりする必要もあると思われます。
「生徒が安心して安全な教育を受けられる」という当たり前のことを実現するために、国全体が教育システムを考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

いじめをした⽣徒の親の責任は?

これは子供の年齢によって変わってきます。

【小学生以下の子どもについて】

小学生以下の子ども本人は、自分がしたことについて、一般的に法律上の責任を負いません。その反面、親は、小学生以下の子どものかなりの言動について責任を負うことになります。法律上も、「子の不始末は親の責任」と言うことです。1つだけ具体例を紹介します。

「池に入れ」事件

この事件は、9歳の子どもが7歳の子どもに「池に入れ」、「絶対入れ」と命令したところ、7歳の子どもは9歳の子どもが怖くて言うことを聞かざるを得ず、命令に従って池に入り、結果としておぼれて死んでしまったという事件です。
この事件で、裁判所は、9歳の子どもの親について、7歳の子どもが死んだことについて、責任があると認めました。
自分の子どものしたことについて、親は責任を取らなければならないのです。

ここまでは一般論です。この事件の特徴は、親権者でない親には監督義務はないとしたことです。
裁判所は、親権の有無によって果たすべき責任を大きく変えているようです。

中学生以上の子どもについて

中学生以上の場合は場合によって変わってきます。
判決を見てみましょう。

「柔道部暴行事件」

この事件は、柔道部の練習後に、同じ柔道部の13歳の梅男くん(仮名)が、着替えをしていた丁川くん(仮名)に、いきなりとびげりをして、倒れた生徒に馬乗りになって殴りつけて、障害を負わせてしまったという事件です。
親の責任について裁判所は次のように述べています。

自分の子どもが「中学でにおいて、けんかに発展しかねない遊びをしており、注意をするように甲川教諭から要請されていた上、丁川傷害事件において、梅夫が同級生の丁川に骨折の傷害を負わせる事件を起こしたために、甲川教諭から厳重に注意するよう要請されており、また、本件事故直前に神戸市内のゲームセンターにおいて、梅夫が戊原某に暴行を振るって、警察が出動する事件を起こしていたことを認識していたのであるから、従前どおりの指導を続けるのみでは、未だ一三歳の未成年者であり、自己抑制力の発達が十分でない梅夫が同級生とけんかをし、また、暴力を振るうなどして、同級生を負傷させる危険性があることを具体的に予見し得たものというべきであって、従前の指導教育に加えて、梅夫の日頃の動静を注意深く見守り、また、梅夫と普段の生活状況について十分に話をし、同級生に対して手を出すことがないように厳重に注意するなど適切に指導監督を行うべき義務を負っていた」

つまり、普段から学校で暴れていたり、けんかをしていたり、ゲームセンターでけんかをして警察を呼ばれたりしていたのだから、自分の子どもが同級生を怪我させるかもしれないと予想できたはずであり、しっかりと同級生に手を出すことがないように叱りつけなければいけなかった、ということです。

「恥ずかしいあだ名」事件

先ほどの「恥ずかしいあだ名事件」をもう一度ご覧ください。この事件で、いじめをしていた子どもは中学生でした。 裁判所は、この事件でも、「柔道部暴行」事件と同じように、子どもが何度か警察沙汰になっていたことを捉えて、親の責任を認めました。

このように、親は子どもが友達にけがをさせたり、警察を呼ばれるようなことをするようになった場合には、しっかりと本気になってしかりつけ、友達をけがさせてはいけないことを教えなければいけないとされています。 親は自分の子どもが他人をけがさせないよう、全力で取り組まなければならないのです。
当然のことかもしれません。けれども、これらの事件では、生徒の親は「けんかになっても手を出すな」というくらいしかしていなかったので、法律に違反するとされました。
一切警察沙汰になっておらず、学校から注意も受けていないような場合に、親がどこまで子どもの行為の責任を負うかと言うのは事案によって異なります。一概にいうことはできません。ただ、裁判例をみると、親の責任が認められる場合が多いということができると思います。

まとめ―どうしたらいい?

以上のとおり、いじめについては様々な法律問題があります。悪口などは大人の視点から見ればじゃれ合いにすぎず深刻な「いじめ」だと感じ取れないかもしれません。けれどもいじめられている子どもの心は深く傷ついているかもしれないのです。そして、子どもの心が深く傷つくことのないよう、いじめに対し大人は全力で取り組まなければなりません。 大人が全力で取り組まず、被害が深刻になった場合には、まわりの大人も法律に違反すると判断される場合があるのです。

もちろん現場で判断を求められれば、大変なこともあると思います。
けれども、大人の視点から見たときに、「これくらいよくあることだ。自分も乗り越えてきた。社会に出たらもっと大変なんだから我慢しなければいけない。」と思わずに、「同級生からこのようなことを毎日されれば本当につらい気持ちになるだろう。学校に行くのが楽しくなくなってしまうだろう。この段階で食い止めなければならない。」と考えることが重要だと裁判例は教えてくれます。

私たちも、大人の一人として、子どもが安全に学校に通えるために、全力でサポートしていきたいと思います。いじめを受けているかもしれない、又は自分の子どもがいじめをしているかもしれない方々や、いじめについて法律上どのように取り扱われているかを知りたい教育関係者の方々は、困ったことがあればいつでも弁護士にご相談ください。一緒に考える力になります。

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