統計データ
いじめについての報道が盛り上がると、著名人たちにメッセージを求めるメディアが続出します。その中でしばしば見受けられるメッセージが、「いじめから逃げろ」というものです。
このメッセージは、「死ぬくらいなら、逃げてでも生き延びろ」という意味であるなら、とても重要なものです。今いる場所以外にも、生きていく選択肢はたくさんある。そのことは、もっと広く、強く訴えられる必要があります。
しかし一方で、「いじめにあった場合は、逃げるのがベストの選択肢」という意味にまで広げてしまうと、微妙になります。
森田洋司ほか『日本のいじめ』(金子書房、1999)より
図は、いじめられた時にどのような行動をとったのか、それといじめが短期化したか長期化したかの関係を表す図です。「泣いた」「逃げた」という選択肢を答えた者は、長期化している割合が高いことがわかります。
このデータは、いくつかの解釈が可能です。何かしらのリアクションが見られることで、いじめっ子を満足させ、いじめをさらに継続する楽しみを与えるということになるのかもしれません。また、「やめて」と言わなそうな子があえて狙われているため、「泣いた」と答えてしまう子どもが長期的にターゲットに選ばれている結果なのかもしれません。
いじめ空間から脱出することは重要です。しかしそれが即座に、学校への不登校などに結びつくと、リスクが増えます。不登校を選択肢したり、学校を中退したりすると、学歴上の不利が生じたり、教育の機会を失うことで、損をしてしまいます。
「逃げろ」というのが、新たな自己責任論の温床になっては、意味がありません。「逃げる」ということが、被害者が学校空間からドロップアウトするということを意味しないで済むよう、学校側が生徒を保護し、いじめが止まるように適切な対応をすることが必要になります。